FM三重『ウィークエンドカフェ』2023年5月20日放送

人口は少なくなり、限界集落となってしまった南伊勢町『道行竈(みちゆくがま)』を守ろうと、南伊勢町と皇学館大学が包括協定を結びました。
その一環として2018年に始まったのが日本酒プロジェクト。
耕作放棄地で酒米をつくり、お酒を作る活動です。
今回は、この活動をする特定非営利活動法人『チーム道行竈』の理事、西川百栄さんがお客様です。

は、平家の子孫が移り住んだ農村集落。塩を作ってきた

リアス式の入り江の中の中、のところに位置しているのが『道行竈』です。
『竃』という字は誰も書けない(笑)
役場にも大きく表示がしてあります。
『鬼滅の刃』でちょっと有名になって、「『かまど』という字ですね」と言ってもらえるようになったというか。
それまでは全くなにも。
「これ、なんて読むんですか?」からはじまって。
南伊勢町に『竃方集落』と呼ばれる集落が7つあります。
平家の落人が逃げてきて移り住んだ地区です。
隠れ里なので、入り江の奥の奥の方に住むんですけど、すでに先住民がいて漁業権が取れず、塩竃で海の塩を焚いて製塩して、それで生計を立てたということで、『竈』を付けて『〜〜竈』という地名になっています。
その集落のことを『竃方集落』と呼んでいます。
それらの集落はもともと人口が少ないのですが、今のこの人口減少・高齢化に伴って、『道行竈』でも現在37人になっていますし、もっと小さな十数人の集落もあります。

 

ともと美味しいお米が作られていた場所。西川さんは新聞でプロジェクトを発見

もともと田んぼがあって、お米が美味しいと言われていましたが、そこも耕作放棄地になってしまいました。
耕作放棄地を解消しつつ、なにか町おこしができないかということで、耕作放棄地を利用して酒米を作り、その米で日本酒を作るというプロジェクトが始まりました。
私ははじめ、このプロジェクトが始まることを新聞で知りました。
私、日本酒が大好きで、親戚が道行竈に関係していることもあって、「私が呼ばれていないなんて!」という気持ちになり、入れてくださいとお願いした形でプロジェクトのメンバーになりました。
どの酒米を育てるのか、どこの酒造会社でお酒を作っていくのか、がとても苦労したところですね。
今、育てているのは『神の穂』という、三重県が開発した酒米です。
一番良かったのが普段道行竈で作られているコシヒカリと同じ時期にできることと、南伊勢は収穫時に必ず台風が来るので、なるべく早く収穫できて倒れにくい。
『神の穂』は保の高さも低く、倒れにくいように開発されているんですね。
『神の穂』しかないんじゃないか、と酒米に決まりました。
最終的に『若戎酒造』さんが受けてくださったのですが、もともと『神の穂』を使って、美味しい日本酒をたくさん作っていたんですね。
三重県でも大きな酒蔵さんなので、そういうのに協力しても良いよ、と言ってくださいました。
さらにプロジェクトの話を聞いて、協力しようという思いを持ってくださったことがありますね。
今も、ただただお酒を作ってくれるだけではなく、一緒に味の開発や売り方を考えたり、イベントなどで参加してくれたり、とても良いお付き合いをさせていただいています。

 

ロジェクトを道行竈の人たちが喜んでくれて見守っていてくれる

最初、2018年は、まだまだ「本当にやっていくの?」「ちゃんと続くの?」という気持ちがあったと思います。
反対はありませんでしたが、そんな感じで見守ってくれていたようです。
2年3年経って、お酒ができて、地域に学生さんが来てくれたり、今まで来なかった方がお酒を買いに来てくれるようになり、人の賑わいが増えました。
今は道行竈区のみなさんが、自分のことのようにプロジェクトの応援をしてくださいます。
ですから私たちも、道行竈区のみなさんに回覧板などで、『今、米作りはここまで進んでいますよ』とか、『◯月◯日に新酒ができます』とか、そんなこともお知らせさせていただいていますし、コロナ禍のときはできませんでしたが、新酒ができたときには集落のみなさんと公民館に集まって、『みんなで新酒を味わう会』などもさせていただきました。
集落のみなさんも変わってきたと思っています。
自分の地元の地名がついた商品があるということを、とても喜んでいただいて、お米にしろお酒にしろ、ちょっとどこかに行くのにお土産にしたいとか、知っている人に渡したいとか、ここ出身の人に飲んでほしいからと買っていただくこともあります。
本当に良かったな、と思っています。

 

い人が米作りをして生きているように広めていきたい

耕作放棄地は酒米だけでは全然解消できないので、2年目からはコシヒカリも作るようになりました。
こちらは食べるお米として、『道行竈の米』という名前で販売しています。
よく売れているんですよ。
実は、令和4年度産のお米ももう売り切れていまして、地元の方に買っていただいています。
南伊勢町エリアは漁村が多く、田んぼのない地域もたくさんあります。
そうすると、外に買いに行ったりとなりますので、できるだけ地元のみなさんに、安心して食べていただけるお米を届けたいなということで、地元の方に売れるようなルートで販売しています。
今は 南島エリアの郵便局4店舗に置かせてもらっています。
お年寄りがけっこう多いので、買い物に行かれるのがとても不便です。
特にお米は重くて大変ですので、郵便局に歩いていって、一人暮らしだったら2〜3キロで数週間持ちますので、持って帰ってもらえるようなサイズで販売しています。
それがけっこう好評で、出ていますね。
お米は作らなければいけないな、と思っています。
ただ、耕作放棄地はまだまだありますし、作る人が必要なので、若い世代の人で、お米を作って、その世代の子たちが生計を立てられるようにしたいですね。
なかなかお米だけで、食べていくのが難しいのですが、何かと組み合わせるなどして、南伊勢町のこういう集落で生きていけるということを目指しています。
若い世代の人たちと一緒に米作りをして、今後も広がっていったら良いなと思っています。

都会にはないものがたくさんあります。、
そういった中にとても大事なことがあるのではと思いますし、発信もしていきたいですね。
それが、ここに住んでいて一番、自分が幸せだと思うことなんですね。